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星影にひそむ星々の会話~星座の文法~

精神障害者ピアサポートをしている僕の徒然

節約したいけれど・・・

徒然のこと

先日、チームの或る人が「愛着障害だから」と言ったので、僕は漠然とノートに「愛着障害」と記述して、実は不安に駆られた。過去にその用語に出くわしたことがあったが日々の仕事の多忙を理由に詳しく調べ上げることを怠っていたからだ。そこで日曜日だった昨日、Kindleで「愛着障害」を片っ端から調べ上げ、その道の専門家の書籍を殆ど全て買い尽くす。そうしたらかなり莫大な費用がかかり「また、やっちゃったなぁ」と落胆した。

いつもこんな具合で、Amazonからの今月の請求が12万円を超えた。

几帳面な性格だから仕方ないかな、とも思う。

万が一、僕に妻がいたとしたら、もうとっくの昔に愛想を尽かされているか、殴り飛ばされているか、「酒を持って来い!」と怒鳴られているのかもしれない。

両親から溺愛され育てられた僕は、ヨチヨチ歩きの頃から、神保町へ連れて行かれた。亡父は僕の教育費に糸目をつけず、何しろ本を買い与え、気がついた頃には書籍代だけでも億単位の金額が書店へと注がれた。小学校の担任の先生も「東大に、行くのよ!」と必死だった。小学五年生の時に、すっかり僕は疲れ果てた。「もう、疲れたから、パパ、座ってもいい?」亡父にそう言い、四谷大塚も何もかもどうでもよくなった。やがて奇しくも或るアイドルグループのお姉さんたちが「普通の女の子に戻りたい」と泣いていた。なんとなく僕には彼女たちの気持ちが分かるような気がした。

 

「エレガンスは崩すためにある」と作家のポール・モランは書いている。何気なくモードを着崩すのが、洒脱とされる。何事もあんまりキッチリし過ぎていると詰まらない。作家のポール・ヴァレリーのスタイル、あれじゃいけない。

 

或る時期に、僕には「活字」しか目に入らないことがあった。電車に乗っても、バスに乗っても、僕は「活字」だけを追い続けた。時間も空間も生憎わからず、手に負えないような存在になっていた。そんなアンバランスが延々と続いた。僕は「動く書物」と化しつつあった。戦争の勃発は醜かった。愚劣な戦争を僕は秘かに軽蔑していた。ふとしたことから、僕は心療内科のフロアに足を運び、全てを失ったような気持ちがしていたが、実は全てを掌握したい願望が強かった。言葉は世界であり、世界は言葉である必要があったのは、戦争をなんとしても回避しなければならなかったからだ。紆余曲折を経た今現在、益々その想いは強まっている。

 

失われた時を求めて、何になるのだろう? 虚しく漂った僕たちの荒唐無稽な過去を掬い取って、いったい何が得られるのだろう? 前進するために生きている僕たちと、僕たちの生きている世界に、なるべく早く水をもたらす必要があるだろう。水、そう。

 

水、確かな水が、腐ることなどありはしない。

 

「故きを温ねて新しきを知る」こともある。雨乞いしていた憐れな過去と訣別するために、何度も時間を刻み続けて前進するために。際限もなく。