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星影にひそむ星々の会話~星座の文法~

精神障害者ピアサポートをしている僕の徒然

毎日がファッションショーでダンスパーティーだったあの頃

エッセイ

追憶、というあまりにも甘美な名詞をあの頃のために費やして佳いのかどうなのか、迷う。凡庸といえばそれ相応に凡庸だったに過ぎなかったのかもしれないから。充ちていく恋もいつかは必ず滅び去るように、あの日々も追憶から滑り落ちやがて記憶から滅びることだろう。未曾有の好景気、マスコミがそう喝采したあの頃を懐かしむ者ももはや少ない。歓びは、一滴の涙でしかなくなった。それを哀しみと呼んでみることを僕はひどく警戒する。今や銀座もただの場末でしかなくなった。僕はさて何処へ行けばいいのだろう。すっかり変わり果てた裏町としてのこの銀座で、馬鹿らしいスロットに興じろとでも誰かが言うのか。朽ち果てた東京に残るのは、釣り銭としての虚しさしかない。

 

夢と幻が交錯する。経糸としての時間と、緯糸としての空間が、万華鏡を織り成すあの過去を蹴り上げる。バーボンを抱えて小走りしながら逃げ去る女を追う男もいない。アスファルトを剥げば東京なんて砂漠の資格さえない愚の骨頂になる。こんなところで僕らは無意味な汗を頻りに流して「お疲れ様です」だなんて言っている。そんな社交辞令を取っ払えば、高らかな哄笑が俄に露わになり、犬を連れたファシストでしかない人々が三々五々歩くのが見えるだろう。しかしそれは《都会的》ではない乱暴とされ、《紳士的》ではない振る舞いと看做されるから、若きフローベールの例の怒りを復活させることで満足しようじゃないか。小説家のフローベールが、年上の恋人、あの美貌の詩人ルイーズ・コレに夥しく渡したラブレターを読み返そう。決裂したこのカップルも、所詮は未来への陳腐な占いに疎かったのだ。

 

沈痛な額を見れば分かる。緋色の眼が悲鳴をあげる。僕らの目には幻と成り果てた夢が視える。日々の荒唐無稽な屈辱が僕らの尻をいつも叩く。政治学原論の本の数々が、古本屋の軒先へ無造作に投げ出される。壊れた心が豊かな瞳に執着する。水・水・水、東京の水が東京湾に注がれて、隅田川が干からびていく。雨乞いこそが僕らには似つかわしいのに《科学的》ではないとの理により、退けられる。こんな体たらくに過ぎない現代が久しく卑弥呼を探している。やれやれ。

 

恭しく教養を捧げ持つ紳士淑女も、服を脱げば福を逃すことさえ理解しない。柔らかい肌の彼方に待つのは、妙に怒った醜い面構えの般若であり、露骨な罵声の応酬だけだ。知性がその程度に過ぎないのなら、感性が知性を罵倒し尽くすことでバランスを保とうと願うしかない。此処では星など見えないから、人物をスターと呼ぶことで満足しなければならない。可笑しな星だ、仮面を被った似非の道化師が芥子の実を割って逮捕される。

 

追憶、まだ僕らはロマンティシズムを洗い落とせずに苦しんでいる。恋文の最後に「追伸」と書くのは何かの勘違いに過ぎないのに、飽きもせずに僕らは。