星影にひそむ星々の会話~星座の文法~

精神障害者ピアサポートをしている僕の徒然

退屈凌ぎに観念としての《民衆》について思索してみませんか?

冷たい雨が降りしきる東京の下町、夜明け前です。

洗濯には向いていない生憎の天候となりました。

子どもたちにとっての最良で最善のクリスマス前の雨となりますよう、祈ります。

クリスマスは、雪の降るホワイト・クリスマスがやっぱり佳いんじゃないかなぁ。

あ、そういうロマンティシズム、懐かしくて、僕は好きです。ハイネの詩集を紐解く真夜中があっても佳いんじゃないかなぁ。ロマンティストの私たちにとってのいつも《聖典》であってほしいのが、ハイネの詩。シュルレアリスムにとってランボーロートレアモンの詩集が《聖典》となったように、お洒落でチャーミングな私たちにとってハイネの詩集がいつも《聖典》となりますよう、祈ります。約束。

 

振り返ってみますと、魅力的な私たちにとって、道端を行き交う人々(チョッピリ冷たい感じがする)は、少し不幸で、陰鬱な表情を披瀝して、少々野暮ったい身なりが育ちの悪さを露呈させてもいる、不思議な《不在のような存在》でしかなかったのではないでしょうか。作家ブルトン流に言えばそれは《染み》のようなもので、都会の虚ろのシンボルみたいな。渾沌、このカオスを象徴する陰鬱で虚ろな面々。吐き気さえするこれら不気味な無骨を避けて、魅力的な私たちは詩集を紐解き、小説を拝読し、美術や写真を鑑賞し、造形芸術に吐き気の主たるファクターを投影させては歓んでもいたのは、確かでしょう。人間の条件について思考し、社会の成り立ちについて思慮を働かせ、時には法律学を無邪気に弄んで優秀な成績をも修めてしまう、そう、魅力的な私たちはすっかり何か得体の知れないものを軽蔑することに慣れ親しんでいたのでしたね。ガサツなもの、不恰好でがさつなありとあらゆるものを、忌み嫌う傾向の確かな強さ、そう、魅力的な私たちは私たちが感じている以上に圧倒的な強さを繊細に保持しています。美、勝利者としての確かな強さ。微笑む私たちの秘密の秘訣。音楽でさえもがディテールとなる魅力的な私たちの嬌声、なんというこぼれ落ちる笑顔の声の連呼でしょう。美。

 

こういう条件がなければそもそも思索だなんてできる筈もないというのが、ほんとうの事実です。これが苛酷な真実です。強情なヴィクトル・ユゴーは、こういう天分を頭ごなしに要求します。魅力的な私たちが戦争や諍いを疎んじるのは、もうとっくの昔から私たちが勝利者として時空を疾駆しているからです。戦争や諍いを好む者がジェントリー階級に属しない人々であることを、今日では知らぬ者がいません。これらガサツな人々はモードに無頓着で、最先端のモードを尊敬することさえロクにしません。自尊心の強い帽子、単調な優雅さの確実な強さ、これを全く知らない不幸。

 

不幸な《赤い血に飢えた民衆》はグロテスクなことこの上ないものです。私たちはモーツァルトを聴きながら完璧に考え、最善を引き出して行動しています。限界を知らない私たちは敢えて宇宙という限界を拵えます。こう条件づけることにより、私たちは私たちのバランスを維持し、これを秩序としています。私たちにとって重要なのは哲学ではなく、実は神話なのですね。美、そして神話。

 

祝祭を知らない不幸、グロテスクな粘液質の人々、べったりとした餅みたいなモチーフばかりを描いて縷々として前進しない人々、魅力的な私たちはこれに違和感をおぼえます。成長しつつある賢いマスコミさんは、これらの怠惰に《自己責任》という標語を与えつつあるようです。それにしてもほんとうに不幸があれば、優しい手を差し伸べる用意も準備も私たちにはありますね。人間ですから、最善を知悉しています。

 

《民衆》という観念を慮る上で肝心なのは、魅力的な私たちもそこへ《参加》する必要があるんじゃないか、という幸せな法則で、これによりかなりの不幸せを排除できると思います。さて、ここで謎が解けた、と感じる幸せな人もいることでしょう。ロラン・バルトが稀に自殺を促し得たのは、彼が《民衆の一員》として立ち居振る舞ったからです。それは時代の要請であり、社会からの要請であり、なによりも誠実さからの要請でしたね。そして魅力的な私たちはこんな言葉を回想するのでしょう、《頭の良い奴ってのは、人間に対して優しいものなんだぜ!》。