星影にひそむ星々の会話~星座の文法~

精神障害者ピアサポーターをしている僕の徒然

これからも生き続ける愉しみ

生きていることそれ自体がラッキーだと感じることの幸せは、絶望が存在していることが鍵になっているのかもしれない。数多の不運、無数の不幸せ、裏切られたことによる涙、信頼相手の不在、難解な病、想像の限界、自嘲の混在する孤独、壁、信じることの著しい困難、不可能となった読書、親しい人との死別、こういう多感な北の極寒に陥ると人は氷を囓りたくもなる。騒ぐ血が氷を欲するのかもしれない。総じてこういう事態になると知性は大して役に立たず、騒ぎ立てる熱い血が論理を一蹴してしまう。不可解な行動や言動が噴出する所以となる。

休みたくても休めない、そんな心象が濃厚になるから、疲弊は益々すすみ、きっと自己が破綻する寸前まで血が騒ぎ続ける。顔の表情に翳がさし、やつれてはいるが、暮らしの時間が静止してしまうから、内面の精神はそのまま居残り若さが異様に維持される。化粧品メーカーがいかに奮闘しても決して追いつかない若さこそがこれだと思う。抑圧された分だけ性欲は強いまま保持される。歌人石川啄木が病魔と闘い、貧困とも取り組んで、尚、性欲が甚だ強靱だったのは、概してそんな理由によるんだと思う。

 

神経の病気は「あはれ」とは趣が異なるような気がする。その病は悲惨な場合もあるけれど、宇宙の正確なスパンに基づいて見れば一過性のものになるケースもある。とかく私たちは近視眼的になりがちで、必要以上に神経の病気について無力を装いたがる傾向なのではないだろうか。これからが愉しみなのであり、占いは始まったばかりであり、目には見えない未来を明るく想像するだけの想像力が欲しい。心理学を軽々と越える想像力を求めることのいったい何が貪欲なのだろう?