星影にひそむ星々の会話~星座の文法~

精神障害者ピアサポートをしている僕の徒然

A NIGHT IN TUNISIA

まだ学生だった頃、巷にはジャズ喫茶が満ち溢れていた。

日本で最初のジャズ喫茶として店をオープンさせたのは、東京は下町、上野の《イトウ》という漆黒の紫煙たちこめる店舗で、僕が最初に入ったジャズ喫茶がそこだった。田園調布に住む友だちが《イトウ》を案内してくれた。煙草を覚えてまだ間もない18歳になったばかりの僕は、もう既に大学に飽き飽きしていた。附属校上がりの僕にとって大学は唾棄すべきウンザリする退屈以外のなにものでもない場所に過ぎなかった。都心の九段で茶番じみた入学式が終わればサッサと心理学書を何冊か買い、揺らめきながら詩集をたんまり買い込んだ。学生相談室に行くべきかどうかを友人たちと話し合い、そこにいる心理学者をなんとなく想像したら何もかもイヤになって、頻りに女の子たちを誘って煙草に火をつけた。民法のテキストには「国体を維持する為に」云々と記述されていた。そんなことはどうでもよかった。分厚いというだけで他になんの長所もない六法全書とやらを書斎からいかに追放するか、それだけを考えていた。煙草は退屈凌ぎには重宝した。

 

《イトウ》のドアをそっと開ける。ドラムの音が大音量で流れていた。東京藝大の学生たちも沢山いるらしかった。コーヒーが運ばれてきた。トーストが運ばれる。リズムに身をあずける怪しい中年男がいる。譜面をじっと見つめる女子学生がいる。音楽専攻の学生なのだろうか。田園調布の友だちがリクエストカードを店員に手渡す。アート・ブレイキーの『A NIGHT IN TUNISIA』だった。黙ってニーチェを読みながら僕はその音楽を聞いた。ニーチェの官能がすると佳く分かるような気がした。店の外は渾沌としていた。東京の乱痴気騒ぎだ。野暮な酔っ払いを見ただけで、僕は吐き気がした。あんな風にはなるまいと誓いを立てたくなる。妙に喧しい連中だ。

 

京都府にもジャズ喫茶が沢山あることを知る。どうして京都にジャズ喫茶がたんまりあるのか、分からなかった。マッカーサーの指示によってそうなったのか、分からず仕舞いだ。それでもアメリカが一枚咬んでいるような予感はした。敗戦国のシンボルみたいで、僕は自嘲したくなった。

 

ニーチェと煙草、そしてジャズ。若い頃はそれが静謐だったのかもしれない。