星影にひそむ星々の会話~星座の文法~

精神障害者ピアサポートをしている僕の徒然

好きな人に見せたい今後の世界

僕が精神障害を患った頃にはまだ障害者自立支援法はなかった。病棟へ入り正にどん底の世界を漂うように彷徨っていた。極端に神経質だったから、当時、異臭を放つことなど僕にはなかった。食べるカネがなかっただけに、これまた極端に痩せていた。それでも生きていけたのは、天をも突き落とすくらいの自尊心のおかげだったと回想している。僕は当時いつも黒いスーツに身を包んでいた。今になって振り返れば、それが最後の輝きだったのかもしれない。漆黒に自ら彩りながらそれでも僕は野心をたぎらせていた。僕の野心は横柄さと縁がなく、町内会の暮らしの中で秩序を維持し、毎朝キチンと部屋の中は勿論のこと部屋の外の街路樹の落ち葉や誰かが投げ捨てた煙草の吸い殻や塵芥を掃除していた。洗濯も毎朝の日課だった。そんな日々の中にあって野心をソッと忍ばせていた。だらしなさと野心とに接点などある筈もない。フランツ・カフカは《君と世界との限りない対立に於いては、秩序を支持せよ!》と答えている。僕は23区の住民の全員を向こうに回してもよいと痛感するのがいつもだったが、フランツ・カフカの答えを蔑ろにしたくはなかった。キチン、キチンと暮らすのを信条のひとつとした。

 

軽蔑することに馴れていけば、人間はもう馬鹿なことなど言わないし、叫んだり暴れたりみっともないことを慎むようになる。「学生時代は、首席でしてね」などと口にする愚劣を排除するのが軽蔑のそもそもの真骨頂ではないだろうか。「エリート・クラブ」と称する実業家たちがいたが、柔和に僕はそれを軽蔑していた。もはや軽蔑する対象も次第になくなる事態になれば、勝ち誇ることも全くなく、フツーに洗濯するのが毎朝の日課となる。

 

頭から人を小馬鹿にするありとあらゆる行為、そんなものなど唾棄すれば済む問題だった。高級乗用車を乗り回すこと、それで傷つく人々がたくさんいるのなら、やっぱり牝牛としてのロールスなど唾棄するしか他に打つ手もなかった。黄色いフェラーリを唾棄する最善を僕は生きた。精神の貴族、過去に目指したそれを貫徹したかった。月桂樹のティアラこそが僕の欲しいものだった。オンリーワンのメダルではなく、ナンバーワンのメダルでもなく。詰まらないものなど、要らなかった。忽ち退屈するから凡庸な虚栄心など不必要だった。

大抵の人々には秘かに愛する異性がいるのが、普通なんだと思う。配偶者だったり、恋人だったり、愛人だったり、様々なんだと思う。世間並みに僕もそうなんだけれど、もし夢想や吐息があるなら、それをどうにか形にしてその異性に届けたいと願うのが人情だろう。愛には理由がないけれど、結果がある。報われない愛もある。許し難い戦争が愛の邪魔をすることもある。国と国との戦争、これは法の精神に照らし合わせても異常だし、許し難い愚劣な行為だと思う。戦争を正当化しようとする野暮な屁理屈を拒むのが、向こう三軒両隣のいつもであってほしい。大砲が発する銃弾の音が私たちの愛の調べをつんざくようであってはお話にならない。

 

夢想や想像や論理が、互いの二重の交わる吐息になるならば、まだ未来は残されている。秋が去ろうとして冬が顔を覗かせている昨今、紅葉のなぜ赤いのかを僕は知らないまま、好きな人へのプランをひとり練っている。そのために、いま生きているのかもしれない。それだけで僕には、充分だ。