星影にひそむ星々の会話~星座の文法~

精神障害者ピアサポートをしている僕の徒然

満足。

今までに僕は、重篤な病気になったり、人から騙されたりしたけれど、ここ数ヶ月の間に、給料なら一日あたり千円もあればいい、そう思うようになった。病気は僕の場合、重たくて、かつて陰鬱な病院に幽閉されたりした。二ヶ月半くらい病院に幽閉された。他人から騙されたことは最近もあって、人間ってこんなに見苦しくおぞましいことも出来るのだなぁ、と思うと、悲しみより呆れ返りの気持ちが勝り、落胆して遂に笑えてくる。それでもやっぱり親しい筈だと思っていた特別な異性に騙されるのは、苦痛が伴うことだった。正直、もう立ち直れないからまた入院しなければ、と明け方のこの東京で、涙が簡単には止まらず、悔しさと愛おしさの狭間に陥った。したたかに彼女は僕を裏切った。それでも僕には彼女を憎むことなど到底できなかった。悪の道を彼女は転がり落ちて、いつか何か重大なことに気づく筈だろう、自分の犯した不実に気づく筈だろう。そうなった時に彼女を引き取る人などいるわけがないし、彼女ご自身が自らの不実を引き取れないだろう。そうなったら、僕しかいないということ、手を差しのべるのは、この世でたったひとり、この僕しかいないではないか。それまでは生きていこうと思う。


それにしても、涙には高い対価が必要だった。僕は布団の中で涙しているうちに、雑菌を拾ったらしく、きょう眼科でそれを指摘された。右目のあたり全体がたいそう腫れあがり、眼科で精密検査を受けた。眼科は僕のそんな病いの原因を突きとめた。細菌を殺すための抗生物質の錠剤、塗り薬、点眼薬を処方された。幸い視力を失うまでではなかった。眼科医はひどく心配して、一週間後にまた必ず来院するように、そう言った。


いかなるどの人間にもファシズムがひそんでいることをあいにく僕は知っている。馬鹿な或る男は僕に「俯瞰して」云々と、愚の骨頂みたいなことを繰り返し言う。この男は見事な阿呆だ、僕はいつも彼を見て思う。いったいどこまで馬鹿なのか、彼の「俯瞰して」云々をまんじりともせず聞くのだが、もはやその素っ頓狂な誤ちをただす意欲も起こらない。忍耐力が肝心、そう言ったスタンダールの虚しさを、僕は理解し尽くした。それにそもそも「俯瞰して」と話し言葉で普通、言うだろうか? 会話のに「俯瞰して」を取り入れるのを金輪際、聞いたことがない。こんな男を相手に話し合うと、なんだかムシャクシャしてくる。鈍いにも程がある。その鈍感力に僕は寛容にはなれないい。「男として」と彼は何十回も言うのだが、意味が分からない。「男として」…? だから何だと言うのだろう。男っていうのがそんなに偉いものなのか、よく分からないし、分かりたくもない。男として俯瞰する彼は、案の定、どこにでもいるただの凡庸な男にすぎない。一介の紳士ですらない退屈な男にすぎない。


こんな世間の中で、僕は大抵いつも笑っているか微笑んでいる。憐れな右目を気づかいながら、ストレス解消のため気分転換している。出し抜けに憲法の本を読んだりする。それで僕は満足だ。