星影にひそむ星々の会話~星座の文法~

精神障害者ピアサポーターをしている僕の徒然

なかなか天使になれなくて…、なかなか紳士になれなくて…

恋する全ての人々のために


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眩暈を枕にして横たわっていると、過去の時間の数々の輝かしい出来事や、現在のたゆたい気持ちや、未来に広がる漠然とした不安と心許ない僅かな期待が、渦巻いて、総じて僕は幸せだと気づく。時間の旅は、走りに走って不意に倒れたとしても、西麻布にある粉々に割れた鏡に写る《今日、わたしとは誰か?》というたわいもない問いかけを演じ続ける道化にとって、大したこともない転倒であり、かりそめに病いを得た昏睡の転倒だったとしても、錦糸町のうらぶれてはいるが人気の高い四方全面が鏡貼りのラブホテル内の秘やかなアヴァンチュールに等しくて、閉じ込められた感が少しあっても幽閉された空間が妖しいライトの瞬きを従えつつ私たちをそっと迎え入れてくれる。ローズのチークと、いささか過去へ遡ったつもりのグロスのついたロゼのルージュと、いつしか忘れそうな夏用のファンデ、銀座のヨシノヤで買った銀色の最先端のパンプスと、愛しい彼へのためと思って耳朶に下げた紫色のイヤリング、今宵こそはと決意した勝負服のつもりのキュートなガーター、「ううん、ホントはね、誰のためでもない、私のためなの」と友人に微笑んだランチの席のことはすっかり忘れ、今や彼のことだけで緊張している、「だからね、下着は私好みのオレンジ、なのよ。勿論、二枚用意してあるんだけど、念のため」そう打ち明けて「ヤッだー、この人!」と友人に呆れ返られたあの昼間は、どこへ過ぎ去ってしまったのか、肌が緊張できめ細やかになっている雨の今宵。「あんたも、ヤルときはヤルんだね、そんな風には見えないけれど」さも驚いたかのように遊び慣れた友人は言うが「女なんて、みんなそうじゃない。日本の女、私たちは、特に」と笑った時の仕種はキチンとコケティッシュになっていたかしら?
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 幾度か抱いてくれさえすれば、もう用済みの男となり、いとも容易く棄ててしまう。お腹に彼のアレの印象が残る。なんだか子宮の奥を掻き回されたこの気持ちが好きで、Sexの真っ只中よりも大切にしたいこの恍惚。きっと憐れなあの彼はもう今ごろ泣いている。それもいいんじゃない。それでいいんじゃない。それで充分なんじゃない。あんな男なら、そこら中にごろごろ転がっているのだから。私は、この世でたったひとりの私自身。大切な、私自身。
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 「手玉にしてる」友人は私をたまに非難する。「いい? 弁護士や医者や、そうね、先月の歯医者なんかもそうだったけど、これが過去形なのにあなた注意してね。ジェントルマンばっかりを取っ替え引っ返して、今度は実業家。そんな自堕落してると、あんた、取り返しがつかなくなる」激しく友人から罵られ、憤りの気持ちを抑えたら私はなんだか遣り切れなく悲しくなった。「だって」身体の震えを感じて「詩人じゃ、ないじゃない」訳が分からなくなりそう私は言った「誰もが、どの男も、いかなるありとあらゆる男たちも、詩人じゃないじゃない」バイロンでも、中原中也でも、ない。そもそも、あの輝いていた彼じゃない。あの繊細な眼差しで詩集をひもとき、頻りに詩を綴っていたあの彼じゃない。だから、あの彼の他のどの男も、愚鈍。あの彼だけが、好きだった。時間が、彼を美化している訳でもない。分かったのよ、私が生涯、愛するのは彼であり、彼をおいて私が愛する異性はこの世にひとりだにいない。残酷ね、それなのに、彼には会えないじゃない。もう彼に会えないじゃない。彼に会う術が私には分からない、きっとバカなんだわ、私。
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 「そう、麻薬に手を染めたそうなんだ。可哀想だよ。鬱になって、それがどうやら統合失調症と判断され、やがて依存症だと精神科医は理解したらしい」「で、どんな女なんだ?」「綺麗な人だよ。よく憶えている。彼女は頭が大変に優れていてね、まばゆいばかりの才媛だった。加えておそらく、種族の意識をも持っていた。なにしろ、名門の出身だからさ」「好きだったのか、彼女のことが?」「うん、そうかもしれなかった。今でも、そうかも」
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 感傷というものは、時に屡々、堕落にすぎない。悲しみについての考察につき、もう既にフランソワーズ・サガンが分析をし終えている。彼女の分析と時を同じくした頃、戯曲家の寺山修司氏が「涙というものは、人間がつくることのできるいちばん小さな海です」と書き綴りはしたものの、海が涙ほど醜くはないことくらい明らかなことはない。奇を衒っても、意味がない。詭弁は凡庸と、僕は心得ている。ところが僕は寺山修司氏の憐れな見解を一蹴したいとはつゆにも思わず、乱暴を慎みたい。どうしようもないことが世界には稀でなく生じてしまうものだから。どうしようもないことが、どうしようもないままで、救いさえなかったとしたら、それは何かの嘘に違いない。寺山修司氏の呟きは、端的に脳髄の衰弱であり、疲弊した彼の全体の世界に対する悲しい披瀝なのだった。憔悴した彼の沈黙を望む読者がいないように、僕は彼の発言をモダンに訂正して彼の名誉があるならばそれを擁護したいと望む。そうすることで僕は過去の寺山修司氏と邂逅し、現在の僕は現代に、未来にさえ生きることが可能になると思う。現在が現在だけではなく、過去の古今東西の人々から監視され期待されてもいるのであり、未来の世界中の人々からも見つめられている、そう時間を捉えれば生活は充実するのではないかな。ライフスタイルがあるとすれば、僕の場合は少なくとも、少なからずそんな風だ。
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 ありとあらゆる麻薬をやったの。最初はマリファナ、続けて覚醒剤、コカインもやったの。或る男に打たれたの。なんだか心が虚ろになっていて、それでいながら重苦しい気持ちで、そしたらもう男にクスリを打たれてて。気づいた時には手遅れで。六本木を彷徨く売人の男だった。なんで私がこんな人間のクズみたいな男にやられなくちゃいけないのか、今でも理解できずに苦しい。それに、幻覚が苦しい。死にたいけれど、死ねないのよ。人間のクズになってしまったこんな私だけれど、それでも死ねないの。うふふ、今度のクリスマスに、彼が来てくれるって、プレゼントを持って来てくれるらしいの。楽しみ、それが楽しみ。あなたにだけこっそり言うね、私の彼、詩人なの。ステキな、詩人なの。この薄暗い病室から連れ出してくれるって、そう言うのよ。来る日も来る日も、彼のことで頭がいっぱい。助けに来てくれるって、助けに来てくれるって。今度こそ、私は、幸せになるのよ。やっと私は、今度こそ幸せに。
 「駄目じゃない。またあなた椅子に向かって独り言をぶつぶつ喋ってる」ナースがうんざりしながら彼女を睨んだ。