星影にひそむ星々の会話~星座の文法~

精神障害者ピアサポートをしている僕の徒然

芸術家の言い回しに時々

文学が技術であることはなんとなく分かっている。

その技術は途方もなく大きな企てになることもあるらしい。誰だったか、昔のローマ人が「人生は短いが、技術は長い」などと言っている。私にはその真意がよく分からない。意味が分からない。藪の中だ。偉人と呼ばれる人はたまにワケの分からないことを言い放つ。凡人は奇を衒う。

 

芸術家の書き綴る《わたしは、死んだ》とか《死を生きる》といった類いの《死》にまつわる一連のシリーズが私には皆目見当がつかない。詩人ランボーも「わたしは、死んだ人間だ」などと妹だか友人だかに手紙で書いている。凡俗の徒に過ぎない私にとって理解するのは至難の業だ。

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どこかの芸能人ならさしずめ「奇っ怪だな!」とでも言いそうなことを芸術家はいとも簡単に言い放つ。事態はとてもややこしい。芸能人にしても気が利いたスターなら勿論スノビズムで暮らしている。スターは当たり前だが文学に寄生している。そんな寄生も技術であり、悪く言えば危険を伴う「体験」だと思う。

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例えば『人生はニャンとかなる!』といった類いの本、これは技術そのものだと思う。自己啓発に使う読者が多いのだろう。文学ではなく、文学に技術で寄生した本の典型だろう。

 

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では、いつも格調の高い小説を書く川上未映子さんの作品。彼女は根っからの芸術家だ。とぼけているフリをしているだけで、才能豊かな非常に繊細な女性。少数の質の高い読者に恵まれている小説家。緻密な頭脳をもった川上未映子さんは読者に媚びることなど決してしない。分かる人には、解ると思う。

 

《わたしは、死んだ》だとか《死を、生きる》とか、尋常ではないことを芸術家は綴るから、罠にかかって砂漠のようなところに追いやられ、ひっそりと呼吸して押し黙っている読者もいるのだろう。

 

それで《作家の責任!》と奇妙な正義感を発揮しても時すでに遅し。優雅に読書し毒を飲んだ読者の責任となる。怖っ!