星影にひそむ星々の会話~星座の文法~

精神障害者ピアサポートをしている僕の徒然

叙事詩はまだまだ

星降る今宵は仔猫を抱いて

こんな題名のみが決まりまだ書いていない私の叙事詩。兎にも角にも今日から本格的にまた新たな一年が始まった。年末年始の休暇も終わり、今朝、出掛けようとしたらいきなり吐き気がした。危うくのところをかろうじて切り抜けて、東武スカイツリーラインに乗り、東京スカイツリー駅でいつものように降りた。Instagramで写真を撮るつもりが、気紛れでやめにした。錦糸町に着きタバコを吸う。するとフラフラっと眩暈がする。微かにeau de Cologneの薫りを周りに撒き散らしながら、歩こうとしたら、どうしてか思うように歩けない。

なんだろう、なんだろう、と不思議に感じつゝ更に歩を進めようとしても、矢鱈とフラつく。しかも普段はたぶん早足の私が、ゆっくりとしか歩けない。頭のアクセルを踏んでもそうそう機転が利かないのは山々だが、足取りの遅いのに、我ながら心配した。

障害者の私は今現在、就労移行支援の事業所に通う日々で、懐も寒いのだけれど、まさかデニムのパンツで通所するワケにもいかないから、キチンとした(←確かに馬鹿げている)服装で行く。事業所のドアを開けて「明けましておめでとうございます‼︎」と私が挨拶したら、職員の方々が全員ほぼ起立して「明けましておめでとうございます」と返答したから、のけぞりそうになった。以前、福祉の仕事をしていた私にとって、内心はフクザツなんだけれど、就労移行支援の事業所で少し頑張らないと先がない。

室内に着き、体温を測ると、37.8℃の熱がある。それでまたのけぞりそうになった。この熱のせいで、吐き気がしたり、歩くのが遅かったり眩暈があったりしたんだ、と謎が解けた。まぁ40℃には達していないしインフルエンザでもなさそうだから、微熱をテキトーにやり過ごすことにした。初日から休んだり遅刻早退したりは極端に印象が悪すぎる。足を引きずってでも出社しろ、そう言われるのがフツーだから、私は何食わぬ顔で着席した。365日24時間ずつ働け、こう言われるのもごく当たり前になった昨今だから(少なくとも前職で私はそう言われた)。

スノビスムは技術だ。昼間勤務中は、有能な計算高い子どもになる他ない。昼間の世界は、論理と知性でゴリ押しするしかない。理性だけあれば昼間の世界はそれで充分通用する。想像力は大して使う必要もない。いかにも紳士然としている似非紳士が私の役割だと心得ている。こんなこと馬鹿らしい、と思いつゝ、プロの女優としてそれを私は演じ切る。

さて、夜になれば、私は豹変する。小ぢんまりとした紳士の役割から解放されて大人になる。感受性の世界の一員となるべく、やけに子どもっぽい紳士の役割を完全に棄てる。夜になっても紳士のまま、という立ち居振る舞いは可愛い女に任せておこう。私はなにも論文と心中したいとは更々思わない。恐るべき子どもたちになるつもりは毛頭ない。

昼と夜

《昼には昼の法律があるように、夜には夜の法律がある》そう詩人コクトーは言う。中には夜の法律を昼に持ち込む、ぼんやりとした憐れな子どももいるだろう。ボーっとしたその類いの子どもたちは、仮死状態にある。時間も空間も分からないその子どもたち。島田雅彦氏は《子どもを救え》というけれど、結局本人のそれも努力次第だと今現在の私は割り切っている。「あなたの心の中には、獰猛な鬼がいるようだね」と諭すくらいのことしか私はしない。「その鬼は《凡庸だろう!》と頻りに叫んでいるそうじゃないか」と私は笑う。

些細なそんなことはどうでもいい。私は早く叙事詩を仕上げたい。《星降る今宵は仔猫を抱いて》。夜だ。