星影にひそむ星々の会話~星座の文法~

精神障害者ピアサポートをしている僕の徒然

恋なんて、簡単…?

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《恋なんて、簡単》そう言うのが映画『天井桟敷の人々』の夙に知られた台詞です。ヒロインの女性は、シェイクスピア劇と相俟って、年下の男性とは雑踏の中で別れ別れになっていく。いかにもナイーヴな表情のその若い男性は所詮恋など分かりはしない。彼の不器用さにほとほと愛想を尽かして女性は立ち消えていく。それを残酷と人々は悪く言うのだろうか。非情だと揶揄するのだろうか。だが女性の果たした忍耐力を勘案すれば、至極当然な男女の別れ話ではないか。簡単なはずの恋をややこしくしたのはその男性であり、精神的な苦痛を受けた女性にしてみればまだ甘い優しさを彼に与えているのだった。

 

様々な恋がある。『私はピアノ』の恋もある。そのどれも代表的な恋愛はフィクション。そして片想いの恋が圧倒的に多い。そんな純愛のひとつズレた橋の向こうに性愛が確かにある。ところが性愛は人の本能に訴えてくる面が強いから、大切で肝心でありつつも、羞恥心を否定しきれずに結局は片想いへ人の関心が集まるのは当然なのかもしれない。片想いは、実際に苦しいから。苦痛をどうしたら癒やすことができるのか、そこが恋の半ばの問題になるんだと思う。緩和されることさえない片想いに《恋なんて、簡単》とは、恋愛模様の華々しさが燦めいているようで、なかなか一筋縄ではいかない。

 

妥協を慎めば、恋はいつも謎めいている。経験でもどうしようもないほどに難しい。他方で難しく考えても何も始まらないのが恋だから、謎が謎を呼んで藪の中だ。小説の多くに恋が含まれている。古今東西の小説に等しくあるのが恋愛だ。小説家によっては「恋愛のない小説など厳密にはない」と言い切っている。そのフィクションとしての恋愛の数々とその顛末。終わることなく果てることもないフィクションとしての恋愛。人によってはそれを愚考の堆積と痛罵するかもしれない。だがそう唾棄したところで問題は何ひとつとして解決などしないのだ。《恋なんて、簡単》かもしれない。しかし妥協を慎めば、果たしてそれが回答にふさわしいのかどうなのか、実際には怪しいところなのではないか。