星影にひそむ星々の会話~星座の文法~

精神障害者ピアサポートをしている僕の徒然

昼も夜も晴れて

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夏か、秋になると、フランソワーズ・サガンの作品を思い出す。『悲しみよこんにちは』をはじめて読んだのは秋の夕暮れだった。おんぼろアパートの非常階段に腰を下ろして読んだ。私はまだその頃、ニューヨークのフィッツジェラルドを知らなかったから、夜や冬について優しく考えることができなかった。セシルに惹かれ、セシルと過ごす孤独な文学青年だった。詩人エリュアールのことも全く知らなかった。

 

昼も夜も晴れて、エゴイストたちは新聞を読む。フランスには『エゴイスト ゼロ』という金持ち連のための専門誌がある。その新聞のコラムが金持ち連の憩いを誘なう。だが私の場合はちょっと違う。

 

昼も夜も晴れて、文学作品を読む。文学の他の本は大して読まない。正確には、読めない事情があり、その理由を明らかにする気紛れはない。どんどん読み、次第に毒を飲み過ぎて、井伏鱒二山椒魚になりかける寸前まで病んでしまう。私は、とことん読む。

 

ドストエフスキーの『白夜』とサガンの『昼も夜も晴れて』には、さしたる関係性が見あたらない。しかしそれぞれの登場人物は、孤独だ。孤独に呪われた、そんな孤独さだ。お金もなく、孤独で、病みつつある暗闇だ。

 

夏か、秋になると思い出す。櫻の花の頃の微笑みが、どうしたことか、いつの間に雲散霧消していることを。罪が、咎もないのに、心へ足を踏み入れていることを。悲しみが、なくなっていることを。私が、翳そのものになっていることを。