読者です 読者をやめる 読者になる 読者になる

星影にひそむ星々の会話~星座の文法~

精神障害者ピアサポートをしている僕の徒然

お年賀状を書く季節

ともだち 徒然のこと 精神障害 Photo

今、チョッと空腹気味です(^_^)

そろそろ冬至が差し迫る季節となりました。

ゆず湯にゆったり浸かりつつ、この一年を振り返る頃です。

こういう時世に際して、俳句や短歌を少しでも、拙くても佳いから、詠めたならなぁとつくづく感じます。俳句のサークルに入った経験もない僕ですが、過去に俳句の天分のある仲間がいて、とても親切な方々でした。非常に繊細で、無骨なところがなく、しかもお洒落さんでキュートな方々でした。コッソリ申し上げてしまいますと、やっぱり片想いをしていたようで、凜としたところもある大変な努力家の女性はモテますね。幾つかの彼女の俳句をすっかり諳んじています。僕は、憧れていたんですね。病気と闘いながら、そう彼女は仰っていました。難病で。

神経の病という難病と闘いながら俳句を毎日、書く、その辛さ。ついつい心細くなってしまいがちな日々を俳句で埋め尽くすことの素晴らしさ、そばにいて僕は彼女を敬いました。何年にも亘るお付き合いのなかで、僕はひとりぼっちの儘、彼女はひとりぼっちの儘、二人でお互いふたりぼっちの儘でした。その間に、彼女のお父様が他界され、ほんとうにふたりぼっちの儘でした。彼女の哀しみは気が狂わん限りで、神経の病がいっそう進んでしまい、僕自身はどう立ち居振る舞ったら佳いのか分からず、軽々に発言するなど以ての外でしたし、さりとて重苦しい話題は出せず、ふたりぼっちの儘に哀しみました。彼女はお花が大好きでしたから、僕は当面のあいだお花の写真を撮り続けておりました。彼女は『早稲田文学』を定期的に読んで「これ、どう?」などと話しました。

 

次第に、彼女の俳句は観念的な傾向になり、重たい雰囲気になりました。ココロになんらかのバリアを張ってしまっていたように、僕には感じられました。そのバリアによって、僕は遠ざけられたかのようでした。途轍もなく彼女も僕も孤独で・・・。

 

当時の僕にとって苦痛だったのは、生命保険のCMでした。加えて僕の高校時代の親友が、CMに頻繁に出演していたのでした。TVのスイッチをONにすれば、かつての親友が現れる、そんなフツーが辛かったなぁ。

 

フツー、というその言葉それ自体が、辛いときもあります。

 

一体いつになったら、フツー、という語になれるんだろう?

これからも生き続ける愉しみ

エッセイ 精神障害 Photo

生きていることそれ自体がラッキーだと感じることの幸せは、絶望が存在していることが鍵になっているのかもしれない。数多の不運、無数の不幸せ、裏切られたことによる涙、信頼相手の不在、難解な病、想像の限界、自嘲の混在する孤独、壁、信じることの著しい困難、不可能となった読書、親しい人との死別、こういう多感な北の極寒に陥ると人は氷を囓りたくもなる。騒ぐ血が氷を欲するのかもしれない。総じてこういう事態になると知性は大して役に立たず、騒ぎ立てる熱い血が論理を一蹴してしまう。不可解な行動や言動が噴出する所以となる。

休みたくても休めない、そんな心象が濃厚になるから、疲弊は益々すすみ、きっと自己が破綻する寸前まで血が騒ぎ続ける。顔の表情に翳がさし、やつれてはいるが、暮らしの時間が静止してしまうから、内面の精神はそのまま居残り若さが異様に維持される。化粧品メーカーがいかに奮闘しても決して追いつかない若さこそがこれだと思う。抑圧された分だけ性欲は強いまま保持される。歌人石川啄木が病魔と闘い、貧困とも取り組んで、尚、性欲が甚だ強靱だったのは、概してそんな理由によるんだと思う。

 

神経の病気は「あはれ」とは趣が異なるような気がする。その病は悲惨な場合もあるけれど、宇宙の正確なスパンに基づいて見れば一過性のものになるケースもある。とかく私たちは近視眼的になりがちで、必要以上に神経の病気について無力を装いたがる傾向なのではないだろうか。これからが愉しみなのであり、占いは始まったばかりであり、目には見えない未来を明るく想像するだけの想像力が欲しい。心理学を軽々と越える想像力を求めることのいったい何が貪欲なのだろう?

 

 

意味を問わない愉しみ

エッセイ Photo

土砂降りの雨だった今日の午前中、その昼前あたりから雨上がり、帰宅時の電車の中はさぞかし置き忘れの傘がたくさん並ぶのだろうな、そんな心配をしていた。仕事場から東京スカイツリーが見える。その界隈の一角に、僕の部屋がある。一角、というとなんだか豪勢に響くが、なんの変哲もないありふれた部屋だ。建物そのものは巨大だけれど、その中の僕の部屋は、他の住人と同じごくありふれた一室で、少し整然としているのはただ単に僕が綺麗好きなだけだから。

夕方、仕事場の近所の公園から東京スカイツリーを見たら、次第に靄がかかり、ライトアップがぼんやりとしか見えなくなった。灰色がかった雲が、スカイツリーの展望台あたりに巻き付いて、最近のライトアップに垣間見られるグリーンのLEDの点滅が殆ど見えない。グリーンのLEDはクリスマスツリーを見立てている。無数のLEDが点滅する様は、やっぱり綺麗。夢見るような気持ちになる。

そのとき、そのとき、スカイツリーは色を変える。

フランスで同時多発テロがあった際には、フランスの三色旗を模して三色に輝いた。

喪に服するスカイツリーがこれ。

なんとなく、悲しい。

スカイツリーは、鏡を知らない。背が高いから、それを映し出す鏡がない。自画像を描いたことがないスカイツリー。自撮りは、ムリだ。落とす葉もない。落ち葉がない。奇妙といえば、奇妙だ。人工の牢獄に収まり、身を挺している。

 

毎日、毎日、来る日も来る日も、僕はスカイツリーを見ている。東京タワーを全く見なくなって久しい。光りの洪水に僕は自らカラダを預ける。たまには飽きがくる。観光客の黄色い声がいつも鳴り響く。どこから来るのか、観光バスが右往左往している。都バスでさえ、日本語、英語、フランス語、中国語、韓国語でアナウンスするから忙しい。人工の光り。詩人ボードレールの『悪の華』がよくお似合いの、僕の住む界隈。一粒、一粒、砂が集まったり、散り散り砕けて、土になることを諦めた痩せた土地。強引にスポットライトをあてて、空にサーチライトがたなびく。涙も流れぬ光りの痩せた土地。なんの意味もない豊かさが寂寥を招き寄せる。ここは、どこだ?

 

夢を視すぎた私たち

受難。

なんとはなしに、先生が奨める夢を視て、

来る夜、来る夜、夢を視て、

或る夜、気づけば、世界との接点を見失い、

どん底に陥った私たちは、

奈落の子どもとして、

自分自身を認識した。

それでもやっぱり夢を視て、

お医者から障害者と認められ、

 遂に力尽きて、 

路頭に迷い、 

 無職。

続く受難に、

返す言葉もなく、

壊れた私たち。 

いつか、いつの日か、  

希望を もてたら、 

真っ先に 、笑顔をあなたに見せるだろう!

恩を仇で返す奇っ怪な人

徒然のこと

福祉職でもなければ、販売職でもない、もちろん知識人でもない、ましてや芸術家でもない、あれは何だろうと小首を傾げたくなる野暮な人に、僕はまぁPCに関する本を何冊もあげたのだが、なにを勘違いしたのだろう、それを仇で返された。意味が分からないし、退屈しないわけにもいかない。しかも失礼なことに僕のいないところで僕に対する悪態をついている。こういう凡庸な卑劣に付き合うほど僕は暇ではないんだけれど、世の中には様々な退屈が確かにある。欠伸をこらえなければならない。

 

おばさんのディスクール (1984年)

おばさんのディスクール (1984年)

 

 「忍耐力が、肝心」と、作家スタンダールは言う。

 

 

A NIGHT IN TUNISIA

ともだち エッセイ

まだ学生だった頃、巷にはジャズ喫茶が満ち溢れていた。

日本で最初のジャズ喫茶として店をオープンさせたのは、東京は下町、上野の《イトウ》という漆黒の紫煙たちこめる店舗で、僕が最初に入ったジャズ喫茶がそこだった。田園調布に住む友だちが《イトウ》を案内してくれた。煙草を覚えてまだ間もない18歳になったばかりの僕は、もう既に大学に飽き飽きしていた。附属校上がりの僕にとって大学は唾棄すべきウンザリする退屈以外のなにものでもない場所に過ぎなかった。都心の九段で茶番じみた入学式が終わればサッサと心理学書を何冊か買い、揺らめきながら詩集をたんまり買い込んだ。学生相談室に行くべきかどうかを友人たちと話し合い、そこにいる心理学者をなんとなく想像したら何もかもイヤになって、頻りに女の子たちを誘って煙草に火をつけた。民法のテキストには「国体を維持する為に」云々と記述されていた。そんなことはどうでもよかった。分厚いというだけで他になんの長所もない六法全書とやらを書斎からいかに追放するか、それだけを考えていた。煙草は退屈凌ぎには重宝した。

 

《イトウ》のドアをそっと開ける。ドラムの音が大音量で流れていた。東京藝大の学生たちも沢山いるらしかった。コーヒーが運ばれてきた。トーストが運ばれる。リズムに身をあずける怪しい中年男がいる。譜面をじっと見つめる女子学生がいる。音楽専攻の学生なのだろうか。田園調布の友だちがリクエストカードを店員に手渡す。アート・ブレイキーの『A NIGHT IN TUNISIA』だった。黙ってニーチェを読みながら僕はその音楽を聞いた。ニーチェの官能がすると佳く分かるような気がした。店の外は渾沌としていた。東京の乱痴気騒ぎだ。野暮な酔っ払いを見ただけで、僕は吐き気がした。あんな風にはなるまいと誓いを立てたくなる。妙に喧しい連中だ。

 

京都府にもジャズ喫茶が沢山あることを知る。どうして京都にジャズ喫茶がたんまりあるのか、分からなかった。マッカーサーの指示によってそうなったのか、分からず仕舞いだ。それでもアメリカが一枚咬んでいるような予感はした。敗戦国のシンボルみたいで、僕は自嘲したくなった。

 

ニーチェと煙草、そしてジャズ。若い頃はそれが静謐だったのかもしれない。

 

 

 

 

 

 

 

 

ニセ紳士とニセ淑女

紳士でもなく、淑女でもない、

私たちカップルは、

根っからの不良なのかな?

誰をも騙さず、

誰からも騙される、

私たちカップルは、

根っからの不良なのかな?

ナィーブな顔立ちをしている、

私たちカップルは、

みんなから蔑まれ、

ひとりぼっちとひとりぼっちの、

ふたりぼっちだ。

こんな私たちだけれど、

私たちが愛しあうのは、

罪ですか?

愛することは、

罪ですか?

あらゆる掟が私たちを優しく裁いてくださいますよう、願い続けながら。

専門家が完璧だとは限らない

エッセイ 徒然のこと

世の中には、付き合いやすい人がいれば、なにか気難しい付き合いづらい人もいる。気さくな人柄の人がいる一方で、奇妙なまでに自己に凝り固まる人がいる。こざっぱりとした服装なら大抵は好まれるだろうが、それが極端に上品なら嫉妬や嫌悪を招きかねず、もしだらしなければ当然のことのように不信感を与えてしまう。

 

モラルも、厳格に偏りすぎれば「あいつは、坊主か?」と疎んじられる。そこには意気地無しかどうなのか、との問いかけが介在していて、なにもインモラルを奨励している訳ではないが、やっぱり人間味がある人物なのかどうなのかが試されている場合が多い。だからふとした失敗も時には歓迎されるし、時には小馬鹿にされもするが、厳格に偏るモラリストこそが嫌悪されるというのが世間に於ける人情なのかもしれない。完全な人間などいない、という以上に、なにがいったい完全なのか、その基準など千差万別でありはしない。

 

上品さも、畏まりすぎれば俄に退屈の対象となる。帝国ホテルで毎日メシを喰えば、却って不健康になりかねない。世の中には《ちょっとした金持ち》という厄介な人がいて、その実、育ちが大したこともないのに、大したことあるかのような立ち居振舞いをしたりしている。胡散臭いそんな人は、いずれ育ちの良くないことを自ら白状するだろう。シャネルを身につけ悦に入ることの虚栄は、ガブリエル・シャネルが孤児としていかに苦労しながら育ったかなどに無頓着だから、これはバカにされても仕方ないんじゃないかな。

 

人には、人間味と人間性がある。人間味と人間性とが矛盾している場合が多い。だからこそ人は総じて面白いんだと思う。いかなる人にも何らかの天分があり、才能があるんだと思う。《不倫は、文化だ》と言えば、ついつい納得するのが人間味であり人間性でもある。一概に真実はこれだ、と示すのはムズカシイし、真実だけを以て人間を規定することなどそもそも野暮の骨頂になりはしないだろうか。

生活支援が私の専門、そう彼女は言う

エッセイ

かつて大変お世話になった女性がいる。

「生活支援が私の専門だから」と、大学院でドクターを目指す彼女は言った。当時の僕は生活支援とはどんなものなのか、詳細をよく知らなかった。今、僕が分かるのは、生活支援こそ福祉の要だという事実で、当時もっと彼女から様々なことを学んでおけば良かったと思う。この先、彼女と再会するのかどうかは分からない。淡い期待を抱かずに、ひとり僕も生活支援の研究にいそしむしかない。

 

聡明な彼女はスポーツも出来る口らしく、ボクシングの鍛錬に余念がなかった。漠然とぼんやりジェンダー論を語るだけの女性ではなかった。彼女は自由を生きていた。自由のど真ん中を生きていた。口先やら小手先だけの女性では決してなかった。

 

彼女と意見の合わない点がひとつあった。

 

精神障害を彼女は遺伝だと言った。WHOの見解を彼女は否定するかのような勢いで、遺伝だと思うよ、と言った。彼女のその考えに僕は一歩も譲らなかった。馬鹿げているとしか僕には感じられなかった。時代のセンスに逆行する彼女のあまりにも素朴な見解に、僕は稀に苛立ちもした。それでも彼女からのアドバイスに、耳を傾けようと僕は努めていた。

 

いずれ頭角をあらわす筈の彼女にとって、僕は通行人でしかなかったのかもしれない。生活支援をピンポイントで探究する聡明な女性はそうそういるものではない。彼女の仕事へのひたむきさが、僕には眩しく感じる。追憶のなかでもこんなに美しい女性は他にいない。彼女との日々が色褪せずに僕の心に残っている。専門家の彼女は先生ではなく、さりげなく道端に咲いている小さな向日葵のようだった。

休みは一週間に一日(笑)

エッセイ ともだち

今日も無事に仕事が終わりました。

最近は一週間に一日の割合で休日があります。一週間に二日の休日をいただきたいとは全く感じません。仕事があり、働けることの素晴らしさを僕は満喫しています。当初の僕の目標は、《不眠不休で働くこと》で、その目標に一歩でも近づけたならと感じます。頼もしい仲間も会社にはいます。切磋琢磨ではなく、みんな支えあいながらチームの一員として、努力する仲間。クリスマスも勿論仕事があります。お正月も勿論仕事があります。

 

福祉の仕事は、絵空事ではありません。綺麗事でもありません。メンバーさんや利用者さんの想いに寄り添う仕事です。ただ単に寄り添うだけなら絵空事にも綺麗事にもなってしまいます。想いに寄り添うことと、ただ単に寄り添うことでは、意味合いがまるっきり違います。その相違に気づくまで、ひたすら努力するしかありません。ベッタリとした餅みたいなモチーフを描いていても、福祉としては意味がありません。最善の判断力、その途上に僕はまだいるのかもしれません。それが果たして未完で終わるなら、バトンを次の世代に手渡し、それで福祉の進歩となるなら未完も已む無しだと思います。