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星影にひそむ星々の会話~星座の文法~

精神障害者ピアサポートをしている僕の徒然

大晦日の宵

徒然のこと Photo

いろいろなことがあったこの一年でした。

最初の頃は、縷々とした具合にPCでデータベースを作っていました。それが当時の僕の主な仕事で、胃が痛む思いでした。

以来、あっという間の一年(こういう体言止めを作家の京極夏彦さんは嫌う)。

だけど(この品詞を作家の永井荷風さんは嫌う。「だけれど」と書け、と五月蠅い)、馬車馬のように働くしか能がなかったし、我武者羅に働かなければ決して謎が解けないこともあって、日々粉々になるくらい働いていたら、いつの間にか一年が経っていました。「頑張らない勇気」を持てず、とことん頑張り続けました。

 

研修にも行きました。本郷にある東京大学医学部の校舎をお借りして、研修は行われました。研修生は日本中からやって来ました。どこかで東北のイントネーションが聞こえたと感じていると、どこかで関西の、九州のイントネーションが聞こえます。ガッツリと勉強して、翌日から怒濤の如く仕事の日々が続きました。血反吐が出そうでした。

 

今、「充実」って何だろう、と不思議な気持ちです。よく分かりません。こんなに働いても、或る一抹の虚しさは否めませんから。察するに「リア充」だなんて無理なんじゃないか、そもそも「リア充」とは嘘なんじゃないか、そんな気持ちです。

 

これから年越しそばを食べようと思います。

では、佳い年を!

 

梅一輪一輪ほどのあたたかさ(^□^)

ひとり

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生まれ落ちて、最期まで、

わたしの主観は、ひとり。

揺り籠から墓場まで、その経済の仮説も危うく、

最果てに運ばれ始めて分かる誤謬。

ひとりのわたしがひとりのあなたと水の中で出会う。

孤独が闇によって隠される、

この宵の口に、昼間の喧噪が残骸として、残る。

燃えて、ひとり、

せめてあなたもひとりであってほしい。

 

美しさ

Photo 徒然のこと

なんの衒いもなく女性が優しく手を差し伸べる。

母性からではなく、女らしさからでもなく、

そっと顔を赤らめて、差し伸べる。

ありがとう、僕は言った。

その後のことは、秘密です。


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神話と正義

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神話が耕すと、

正義が斧をふるって稲の首を落とすから、

またやり直しになる。

仕舞いに正義が神話を斧で断ち切るから、

永遠が途絶えてしまう。

クリスマスに、祈る。

願いが届くのは、いつ?
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月の光

月の光を糸にして、

織った貴重な和服の艶やかさは、

月光の色を放ち、

着る人もなく、

翳がお似合いの鏡のなかで、

探す涙の温かさ。

小鳥が、逃げ惑い、

寝床の落ち葉に横たわる。

いつか。


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真夜中、窓から見えぬ月

世知辛い東京に、真夜中が訪れる。

東京とは何だろう、考えが浮かばない。

窓辺で書く。

何も聞こえない訳では勿論なく、

クルマが静謐の邪魔をする。

月も浮かばず、

月に吠えることもできず、

裸の。

頑強な秩序や、確固たる社会や、

それが見えない真夜中。

理屈は死に絶え、

白い吐息が冷たい唇を温める。

沈黙の、風が、そよ風になり、

僕の孤独にまとわりつく。

抒情はなく、一切なく、

蒼い街が、うたた寝する。

軽やかに滑る流れ星もない。

秘かに僕は、喧騒の昼から脱出したが、

虚しさのみが、胸を満たす。

空っぽの、僕の頭の中に、響く多数の言葉は、

必ずしも幻聴ではない。

凍てつく夜明け前に、

浮かぶ言葉が欠伸となり、

忘れた彼女の面影を追う、眩暈。

本当に僕は生きているのだろうか?

夢が、濃くなる真夜中の、

辛い沈黙に捻り潰され、

もう、いないのかもしれない、

翳。

 

インディペンデンス

徒然のこと

自己肯定感が脆弱になるに伴い、インディペンデンスは弱くなる道理で、様々な猜疑心やら疑心暗鬼やら或いは良心の呵責やらの、謂わば不穏を惹き起こす困難なフィルターを経て、漸く確固としたインディペンデンスが得られる可能性が希望として見出だされるような気がする。人間が人として独立性を保持することの大切さは、言をまたないと思う。それを《何にも属していない》と捉える勘違いをする人が稀にいるが、《属していない》ことで何かしら高潔を獲得しているとの大きな間違いは、遠慮なく云えば浅はかさ故のナルシズムなのかもしれない。

 

インディペンデンスは《属していない》のとは違うと思う。つまり《属していない》感は厳密にインディペンデンスではないような気がする。《属していない》感は、虚しい閉鎖的な漂流に過ぎないと僕は判断していて、やがてその偽りの自由は、閉塞しない訳にはいかなくなるに違いないと思う。秩序ある社会が私たちに歴然としてあり、私たちはその秩序ある社会の中ででしか人間らしく生きることはできないんじゃないかなぁ。余程の異常でもない限り、私たちは社会の中で息づき、社会の中で暮らしている。極端な引きこもりのようなものを別にして、私たちは社会なしには生きていけないと思う。引きこもりは砂漠の中で暮らしているのと大差なく、その当人は砂漠の中で頻りに柵を周囲に拵えているに過ぎない、まぁ魂の病いなのですね。柵の中に私たちが入ろうとしても《来るな‼》と言われてしまいますねー。おっかない(笑)

 

インディペンデンス、これこそ自由の貴重な源泉で、人間が人として暮らすのに必要不可欠な、魂の礎だと思います。


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お子様ランチ

徒然のこと

あの、子どもだった頃、一番大好きな食べものといえば、カレーライスではなくて、ちょっとしたレストランで供される、お子様ランチでした。レストラン、とは云っても、高級なところではなく、かつての秋葉原デパートにあったようなレストランです。

 

亡父がなにしろ電気関係に滅法つよいタチで、特にオーディオなどの部門では、自分ひとりで巨大なスピーカーを作ってしまう程でしたから、それはそれは毎週、秋葉原へ連れて行かれたものです。亡父がどうしてあんなにオーディオへのめり込んだのかはさておいて、大学が彼は理系だったため、その名残りだったのでしょう、莫大な金額をオーディオに注ぎ込む。また、オーディオ関係の雑誌も無数に買い込み、音楽好きもあの域までいくと異常だな、と、いま僕は回想します。

 

まだ当時はレコードの時代でした。子どもだった僕が好んで聴いたのは、村祭り?とかいう題名の賑やかな音楽でした。童謡しか聴かない子どもでした。

 

亡父が聴く音楽は、まずjazzで、次にクラシック音楽でした。子どもだった僕にはjazzが喧しく聴こえました。もうそれは騒音でしかない、聴けば聴くほどイライラするような音楽でした。近所の迷惑も考えず、jazzを大音量で聴く亡父が、僕には理解できませんでした。ワケの分からない機械がひしめき、中にはレーダー探知機のような不思議な機械もあり、亡父がオーディオに費やしたカネは異様でした。

 

時を経て、今やハイレゾ音源の時代です。ソニースマホやらパソコンやらスマートTVやら、僕は総じてSONYで統一しているのですが、亡父にハイレゾを一度でいいから聴かせてあげたかったと思います。

 

ベートーヴェンの『運命』が、お前には分かるか?」

 

或る晩に、亡父は子どもにすぎない僕に訊きました。童謡しか聴かないほんの子どもの僕に。

 

「分かるよ、パパ」

 

そう僕は応えました。

 

すると亡父は「お前なんかにベートーヴェンが分かる筈ないだろう!」と叱責しました。若くして亡くなった父の孤独感が、今の僕にはよく分かります。秋葉原デパートで毎週末、子どもにお子様ランチを食べさせる父の孤独感と歓びが。

冬休みはありません

徒然のこと 精神障害

別にリア充ではないんだけれど、僕に冬休みはありません。年末年始も暦通りです。

12月31日は土曜日だからお休み、1月1日は日曜日だからお休み、それだけです。ウイークデイはいつも仕事だから、まぁ、これが僕にとっての普通です。12月30日と1月2日はウイークデイだから、当たり前のように仕事をします。

紅白歌合戦には全く興味がないから、31日の土曜日はお出掛けします。どこへ出掛けるのか申しますと、会社に出掛けます。こんなだから、たまには血反吐が出そうになるのが、ほんとうのところです。そういえば、夏休みもありませんでした。

 

僕の仕事は特別にハードで、朝一番から怒濤の如く始まります。申し送りや突如発生するスケジュールの変更や、チームが完全に機能するように目くるめく始まります。何しろ精神疾患のメンバーさんたちが朝というか前の晩から待っているので、覚悟を決めて仕事に取り掛かります。この福祉の現場は、間違いなく医療の現場よりも難易度が高い筈です。ストレスがとにかく溜まりやすいので、プロとしてやるからにはかなりタフでなければとてもじゃないけれど務まりません。咄嗟の判断能力が求められます。

 

精神疾患というものは、普通の音楽がある一方で、REMIX版というコンピュータによる編曲がありますけれども、そういうREMIXESのようなものだと謂えば分かりやすいんじゃないでしょうか。《不在》の《存在》のような、まぁ錯覚なんです。ですから精神障害者は何か重大なことに気づいていて、そのことを伝えてみようと試みはするものの残念な疲弊のせいで伝達できていない、そういう奇特な存在なんだと思います。そう、精神疾患とは《ゼロ》です。

 

フロイトは《ゼロ》の発見を成し遂げた天才だとも謂えます。凡人は環境が変化するのを畏れるあまりこの《ゼロ》に近づかずむしろ遠ざけようと卑怯な心象を保持します。この卑劣な凡庸が偏見です。神がいないことを知っていながら経典を信心深そうに読んでご託を並べる茶番、諸科学がこんなにも発達した現代に於いてその偽善または自己欺瞞は難しくなりつつあるようですが。まぁそれでも日本の憲法は「信仰の自由」を認めることで精一杯の譲歩をし茶番を可能たらしめている訳です。

 

クリスマスが近づいています。恋人と華麗なダンスなどしてみては如何でしょうか。生憎、僕はクリスマスも仕事です。ダンス、ダンス、ダンス。